日ハムの二岡が引退会見を行いました。
言うまでもありませんが、カープとは深い縁があるはずだった選手です。
広島は早いうちから二岡の逆指名での獲得を目指すと公言。
阪神も狙っていましたが、いつの間にか巨人にかっさらわれました。
ほぼ裏金といっていい、上限額を無視した契約金が支払われていたことからもひっくり返された最大の理由はそのあたりでしょう。
広島は二岡を野村謙二郎の遊撃後継者と考えていました。
野村は1998年まで正遊撃手でずっと貼っていましたが、二岡獲得失敗した1999年からちょうど怪我に悩まされるようになりました。
この年はまだ打撃覚醒する前のディアスが遊撃に入ったり、二岡獲得失敗で1位指名をした高卒ルーキーの東出が遊撃を守りました。
2000年には江藤が抜けたこともあり本格的に野村が三塁へコンバート。
代わりの遊撃には東出が入りましたが、ここから長い遊撃受難の時代に入りました。
試合経験を積むも、遊撃守備は改善されず
東出の守備が限界に来た2003年はシーツが入り2年間守りました。
この頃一番フロントがひどい時期でしたね。
シーツを残していれば、もう少し早くAクラスに入るチャンスがあったのかなと未だに思います。
金本もあんな形で分かれていなければ阪神に行かなかったかもしれないですし、もう少し阪神の暗黒時代が続いたでしょう。
そのシーツが退団後、2005年は2年目の尾形が開幕スタメン。
しかし、尾形が怪我したあと苦しみ東出・松本奉を使ったものの、終盤は山崎がスタメンをつかみました。
隠し球などもありましたが、山崎も好きな選手でしたね。
やっと遊撃スタメンが固まったのは2006年。
昨日の記事でも書きました梵が入ったことで、正遊撃手の誕生です。
2008年には新人だった小窪が一時スタメンを掴んだり、2009年には石井琢朗の入団など遊撃手争いは続きました。
そして、梵が怪我もちのためキムショーや安部がスタメンに入るというのがこの近年です。
こう考えると、二岡が来ていれば東出の1位指名も無理でしたし、時期的に梵の入団もなかったかもしれません。
そう考えると、これもまた縁なのでしょうが、彼の巨人での活躍を見るたびに
「二岡が広島にいればなあ」
と思ったカープファンは多いでしょう。私はそう思っていました。
その一方で、彼も広島にいればあんなスキャンダルはなかったでしょうし、北海道に行くこともなかったでしょう。
二岡より東出の方が長く現役を続けたのも一つの事実。
そして、この8年正遊撃手を貼った梵も33歳。
まだ若いとはいえ、怪我持ちのため今後どうなるかはわかりません。
今年、この遊撃手がどういう争いになるのかも注目です。